子供の才能を伸ばすには、とにかく信じて待つこと。でも待つのが難しい。【書評】モンテッソーリメソッド

この本、読みました。

子どもの才能を伸ばす最高の方法モンテッソーリ・メソッド

子どもの才能を伸ばす最高の方法モンテッソーリ・メソッド

 

100年前に提唱された「モンテッソーリ教育」が今見直されている。そのモンテッソーリ教育とはどういうものか。という話。仰々しい名前が付くと、まったく新しい考え方のような気がするけど、中身は自分が普段意識していること、実践しようと心がけていることだった。ポイントは 

・年齢を基準に考えない(この年齢ならこれくらいのことができて当然、と考えない)

・子供に自分で考えさせる、自分で決めさせる

・危険なこと以外は、自分でやりたいようにやらせる。間違っていてもいい。

・ただ、間違いに自分で気付くように仕向ける。

という感じ。結局、「周りと比べず、自分の子供を信じて、伸びるまで待つ」ということだと思う。

驚きなのは、これが100年前に提唱されていた、というところ。こういう考え方って、ここ10年くらいで出てきたものと思っていた。違うんですね。最近見直されてきた、というだけで。

なぜ見直されてきたのか

じゃあなぜ今、見直されてきたのか。この本の帯には「Google創業者や、藤井聡太棋士が受けた教育手法」みたいに書いてあるけど、そんなワイドショーぽい理由だと思っちゃうと大間違い。

見直された理由はやっぱり、「少子化」と「個の時代」でしょう。

モンテッソーリ教育が提唱された100年前は、まだ「一定水準以上の人材を大量に供給する」必要があった時代。そのころ「子供ひとりひとりをじっくりみて、伸ばす」なんて無理な話。寺子屋だとか保育園幼稚園だとかじゃなく、親でさえ無理。子供が多かったですから。
ところが現代。とびきり優秀な個人が一人いれば、時価総額10億ドル企業(ユニコーン)を作れてしまう時代。個の重要性が最高に高まっている。そこへ少子化。保育園は不足しているとしても、親が子供をじっくり見ることができる時代になっている。そりゃ、見直されますよね。見直されるというより、いまこそ必要になってきている、ということなのだろう。つまり、こういう考え方にシフトしないと生き残れない。

これを実践するのにもっとも難しいこと

じゃあどうやっていけばいいか、という話になるわけですが、冒頭に書いたとおり、そんなに革新的なことをやる必要はないです。子供がやりたいことはなるべく自由にやらせる。自分で考えさせる。そこはそんなに難しくないし、やってる人も多いでしょう。
難しいのは”直さない”、”待つ”こと。これ本当に難しい。子供が遊んでいて、おもちゃの使い方が違うときとか、シャツのボタンを掛け違えているとき、ついつい「それはこうやるんだよ」とやって見せてしまいがち。それを自分で気づくまで待てるかどうか。自分で直すまで待てるかどうか。そういう場面になった時、”理論的な裏付けがあるから”自信をもって待てるようになる。それがこの本を読む意味だと思います。
待つのは短期的にだけじゃなく、長期的にも。体育でも、算数でも、”周りのみんながここまでできるのに自分の子ができない”ときに、じっくり待つのはこれまたかなり難しい。

最も難しいことをやるには

どうやったら待てるかというと、自分の子を”信じる”しかないと私は思っています。つまり、”自分の子は必ずできる。今はできないだけ”と、心から信じられるなら、待てるんですよね。
と、ここまで考えてふと気づいてみたら、仕事でも同じ。後輩に仕事を教えるとき。単に作業を教えるだけなら、ささっとやって見せて、違ったら直してでいい。でも後輩を育てるときは、それじゃダメ。頼んだ仕事の意義を説明し、よく観察しつつも、じっくり待つ。その人に合わせたタイミングで支援して、ティーチングじゃなく、コーチングで導く。この場面でも、後輩を信じられるかどうかがとても重要になります。

そう思ったら、自分の子供に対しても、ちょっとできそうな気がしてきたな。頑張って待ってみます。

 

一風堂に無理やり広告を見させられて、ラーメンがマズくなった

先日、久しぶりに一風堂行きました。そしたらこんなラーメンが出てきた。

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なんですかね、これ。こんなの頼んでないんですけど。メニュー確認してみたら、やっぱり本来、海苔はついてない。「海苔をタダでつけてやるから、広告を見ろ。タダやからええやろ」ということのようですね。もちろん、注文時にそんな説明は一切なし。

 

たかが広告、されど広告


一気に食べる気がなくなりました。一風堂来て替え玉しなかったの、何年ぶりだろうか。私、最近こそ行く頻度が落ちましたが、2年くらい前までは一風堂、結構通っていました。月2~3回くらいかな。でも、もうしばらく行かないでしょうね。タダならともかく、いつもと同じラーメン代払ってんのに、なんで今日は広告見せられるんだ。たった海苔一枚もらったくらいで。

 

ただ、うちの妻は「あ、面白いね。海苔もタダでついてくるし、ラッキー」くらいの感じでした。たぶん、そういう人が大多数なのでしょう。気に入らないなら、行かなければいいだけです。それでも私がこのエントリーを書こうと思ったのは、「自社の大切なものを見失う」ってビジネスでもよくある失敗だよなあ、と思ったから。

 

ラーメン屋が一番大切にするはずのもの

ラーメン屋が、顧客に提供する価値とは何でしょう?おいしいラーメンですよね。おいしいラーメンがあったうえで、野菜山盛りだの、味集中システムだの付加価値があるわけです。ところがこの「広告海苔」は、最も大切であるはずのラーメンの価値を、ラーメン屋自らおとしめている。海苔無料という付加価値を付けたつもりが、本体の価値を下げている。広告海苔が美味そうだと思う人、いないでしょ。しかもUNOの広告て。洗顔料やら整髪料を思い浮かべながらご飯食べて、おいしいわけないでしょう。わざわざラーメンをマズそうにするなんて、完全に見失ってます。自分たちが顧客に何を提供しているか、見失ったままであれば、落ちぶれるのは時間の問題。それでも来てくれるのは”一風堂の味が好きな人”じゃない。”海苔がタダでついてるラーメンが食べたい人”だけです。味を損なうようなことをし続けるなら、そりゃ当然です。

 

こんなこと言ってますけど、私は新しいチャレンジとか、広告とかは結構好きです。テレビ番組よりCMのほうが楽しめるくらい。でもね。これは、見失っちゃいましたね。どこへ行くんでしょう、一風堂。自分が見失ってることに、早く気づくことを祈るばかりです。

子供に習い事をさせるリスク。衰退する日本でどう子育てをするか

久しぶりに大前研一氏の本を読んだら、自分の子育てについていろいろと考え直すことになりました。

 

どういう本なのか

世界全体を見て、2017年はどんな動きがあったか。2018年はどういう方向へ行くのか。そんなことが書いてあります。「大前研一ビジネスジャーナル」ということで、がっつりしたビジネス本じゃなく、雑誌に近いノリでさらさらっと読める。でもやっぱりとても勉強になります。ただ残念なことに、自分は大前氏の知識・情報に対して疑問をもてるほどじゃないので、いつも「へー、そうなのか」で終わってしまい、レビューすら書けません。大前氏はよくこう言います。「(ビジネス)本を読むときは、内容を鵜呑みにするのではなく、著者の主張に疑問を呈しながら読め。著者と知的スパーリング(ボクシングのあれね)するようなもの。そうすると思考力が鍛えられる。」それが、できないんですよねぇ。

 

読んだら子育てが気になった

いつもなら、読んで何となく知識と考え方を仕入れておく、くらいになるわけですが、今回はここが引っかかりました。

(要約)世の中は日本を取り残してどんどん変わっていってる。中国なんて特に、コンピューターサイエンスをはじめ、日本のはるか先へ行っている。こういう世界で生き残るために日本は、尖った人材を育てていかねばならない。それを何十年も前から言ってきたけど、さすがにもう間に合わない。国単位で「没落しないように人を育てる」ことはもう、間に合わないから、みんな個人で生き残れるようやっていきましょう。

 

というあたり。普通はこれ読むのビジネスマンだから、「じゃあ自分や自分の会社が生き残るためには、どういうトレーニングをしていくべきか」という読み方をするわけです。でも僕は、「自分の子供をどう育てるべきか」という方向に考えてしまった。

 

昔の子育てをしてないか?

子育て、特に子供の教育をしていてよく感じるのは「自分たちが育てられたのと同じ育て方じゃダメなのに、それが分かってない」ということです。僕も、僕の妻も。
「40年前のやり方で子育てしてます」って言えば、ほとんどの人が「お前アホじゃないの?」って応えるでしょう?でもいざ自分の子になると、“自分が親からされてたのと同じことをしてしまう”んですね。子供への接し方で言えば、算数の問題を間違えた時。他の子と同じように団体行動がとれない時。などなど。学習で言えば、“自分もやってたから”公文をやらせる人、“みんながやってるから”進研ゼミをやらせる人。それに英語とプログラミングを加えたくらいで、現代に合わせた教育してるつもりでいる。こころあたり、ありませんか?

尖った人材を育てなきゃならないのに、皆と同じことやってて良いんかな…。

 

とは思うけど、どうすりゃいいんだ。

 

習い事は諸刃の剣

まずは、教育について”親が勉強すること”ですよね。

子供の成長は、ひとそれぞれ。同じ学年の子と同じようにできなくても、じっくり待つ。子供を信じて、待つことができるかどうか。最近の教育論ではそう言われてますが、これを知って、実践できるか。“自分たちが育てられたやり方”でやってる人、つまり、最近の教育について勉強しない人には、できないでしょうね。勉強してる人でさえ、実践するの、かなり難しいんだから。

 

そういう“伸びるまで待つ”スタンスを持ったうえで、尖った人材をどう育てるか。これも難しい問題です。

今までの、“ある水準の人を大量生産する”やり方はわかる。でも尖った人材を育てる方法は分からない。どうすりゃいいんだ。

 

 

仕方ないから、自分で考えさせようかな、と思っています。ただ、道具だけは与えよう、と。どんな道具がいいか分からないけど、

  • 考える力
  • 行動力
  • コミュニケーション

くらいかな。

 

少なくとも、サッカーとか野球、そろばん、習字。そういうものではない。もちろん、習い事がダメと言いたいのではないです。何を鍛えるために習わせるか、を忘れないようにすることが大事。例えば「根性と体力だけあって、先生や監督の言うことをひたすら実行する」人間を育ててしまう可能性も多いわけです。指導者によっては、ね。スポーツ習わせるのはとても良いことだけど、考える力が骨抜きにされないよう、気をつけたい。

 

尖った人材の育て方は分からないけど、昔のやり方に流されないよう、意識したいですねぇ。