本当かどうかなんてどうでもいい場合があるってこと

 

年末が近づいて来ました。

一杯のかけそばって話をご存知ですか。
まあ詳しくはウィキペディアでも参照してもらうとして。

学生時代、教師が授業中の雑談であれに触れたことがあったんです。
そしたら、生徒のひとりが言った。
「でも先生、あれ作り話だったんですよ」って。

実話でしかも感動する話ってことで拡まったんだけど、ワイドショーだか週刊誌だかで、実は作り話だった、と暴露された時期でした。
だからまあ、その生徒の指摘はもっともだと当時僕も思った。

だが。
その教師は何と言ったか。
「そんなこたあ、どうだっていいんだよ。
あれはいい話だった。そうだろう?」

ほお。

作り話だったらいい話じゃなくなるのか?
お前は何を基準に判断してるんだ?

ってこと。

確かに、物語として発表されてるし、どこにも実話なんて書いてない。まわりが後で、実話だの作者がどうだの付け加えただけ。

本編より、まわりの騒音に惑わされてた自分。

あれから、「本当かどうかなんてどうでもいい場合がある」って視点を持つようになりました。

そう思って見ると、結構あるんですよね、そういうケース。

例えば。
プロゴルファーがプライベートで問題を起こしてどうのこうの。
僕らにとって彼を叩かなければならない時はひとつだけ。
彼のゴルフが面白くない時だけ、のはず。
(プライベートでの被害者はもちろん、そこで叩けばいいですよ)

だけどプライベートの問題で皆が叩くもんねえ。
タイガー某さんの時とか、日本だけじゃないんだな、そういう風にズレてるの。って思ったね。

どうでもいい情報に踊らされないようにしたいもんです。

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