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努力とは確率のコントロールである【努力論】

 

努力って、なんでしょうね。
最近よく考えます。

報われるだの、報われないだの。

為末さん周辺のTwitterでちょっと話題になってたので、
僕なりの努力論を書いておこうと思います。

まず「努力は必ず報われる、というのは幻想だ」という認識は持っておきたい。
それは、どうせ報われない、なんてシニカルな話じゃなく、
努力してダメだったときでも、再び立ち上がるための心構えだと思っている。
つまり、「あんなに努力したのにダメなんて、もう二度と努力なんてしねーぞ」
という方向へ行ってしまわないために。

報われる努力だってあるし、報われない努力だってある。
当たり前の事なんだけど、努力してる最中ってのはその当たり前がどっか行ってしまいがち。

以下のような事をいつも頭の片隅においておく事で、
努力というものとフラットに向き合える。

努力とはベクトルである

量だけよく問題にされるけど、
努力には方向も大事。
方向がぴったり合っていれば、少ない努力でも高い成果をあげられる。
「方向を合わせる努力」をせずに量だけ努力しても、
それはあまり誇れない。誇りがちだけど。

方向を合わせるのが上手い人を見て、
あいつは大した努力もせずに…とかいうのも間違ってるってこと。

方向を合わせるのには、センスや才能がいると思うので、
誰にでもできることじゃないけど、
少なくとも、方向合わせがうまい人をねたんでいては、
いつまで経っても努力は報われないだろう。

この点はオリジナルの持論のつもりでしたが、はるか昔に幸田露伴が指摘してる事らしいです。

努力とは確率のコントロールである

まぐれでもうまく行く時はある。
努力してもダメな時はある。
結局努力とはなんなのか。

そう考えた時、「努力とは成功確率を高める作業に過ぎない」
と思い至りました。
まぐれはコントロールできない。
成功するかどうかもコントロールできない。
それでもなるべく成功しようとして、
人はせめて「成功する確率」を高めようとするんだ。

努力したから100%成功するとは限らないけど、
20%だったものを60%や70%にはできる。

そういうことなんじゃないだろうか。
そんなスタンスを以って、努力したいものです。

photo credit: John Spooner via photopin cc