世界一周が陳腐化しようとも実体験はやっぱり貴重

 


最近、Twitterなんかで世界一周してる人をよく見かけます。
僕がそれっぽいブログ記事を書いてることもあるんでしょうね、フォローしてもらうことも時々。

実感としてすごく増えてる。
そして、ただの旅行じゃない、
何か付加価値を明確にしてる人も結構いる。
もう、ただの世界一周では陳腐化しちゃってるんでしょうね。

そういうのを見ると、ちょっと違うんじゃないのかな
と感じるのも事実です。
無理やり付加価値を作り出してる感じがしてね。

ただ、そうやって批判することもできるのですが
やっぱり凄いと思う。
世界一周ってな、ハンパな気持ちじゃできないですよ。
下がってきてるとは言え、支払うコストは決して安くはない。お金も時間も。

結局、動機が何にせよ、よほどの旅好きじゃないと出来ないってことです。

で、何が言いたいかというと。

動機は形式的なものでいい。
やってるうちにのめり込んだり、
見えて来たりするものがあると思う。
何より、体験から得るものってのは価値がある。
既に誰かが言語化しているものだろうとも。


その逆はまずい。
きっかけは本気でも、やってるうちに形が大事になってしまうやつ。
やってること自体が目的になってしまうもの。

自分の場合、入口・動機を厳しく見がちな傾向があるけど、
入口は意外にどうでもいいのかもしれない。
世界一周してる人たちを見て、そんなことを思いました。

photo credit: Βethan via photopin cc