キュレーションこそ、「二流」の仕事なんじゃないか

 

前回の記事
二流というのはランクの名前ではなく、スーパーフォロワーシップのことである - せいじ100のリスト
を受けてもう少し思いついた。

前記事を読んでいただけばわかりますが、
二流というのは侮蔑じゃないです。
ここ誤解されると本文全部意味なくなっちゃうので、
よろしくお願いします。


さて昨夜あの記事を書いたあと、
翌朝になって佐々木俊尚氏のキュレーションを見ていてふと思った。
これって「二流」活動にあたるのではないか、と。

キュレートする対象をいつも体験しているわけではないが、
対象に自分の体験知見を重ね合わせて紹介することで
普通の人にも対象記事の見方を提示する。

そういう意味では

二流は、一流と三流の橋渡しをする翻訳者

という定義に正に合致するもの。
普通の人が頑張ればやれる、というところも
ナガオカ版二流の定義にフィットする。

安易な自己実現や承認欲求のために
小手先でやってては二流になれないけど、
キュレーションも持続性とクオリティを追求すれば
一流に触れざるを得なくなっていきますよね。
なんか情報キュレーションが台頭してきた状況と
本の中身がシンクロした瞬間でした。

佐々木俊尚氏を二流というつもりはもちろんありません。

photo credit: bitzi ☂ ion-bogdan dumitrescu via photopin cc