本田は本当に自己責任論者なのか?Twitterはこんにゃく問答の世界

 

こんなエントリーを読みました。

hirokimochizuki.hatenablog.com

 

後半は良いんだけど、なーんか違和感が。
少し考えてわかった。話の前提がおかしい。
途中、「~ということは、~だからだろう」という想像による断定が出てくるんですね。ここからおかしくなってる。

これを読んであのような書き込みをするということは、彼が「自殺」という問題を考えるうえでのある種の思い込み、「自殺者は自分の苦境を「他人や政治のせい」にして自死したのだろう」といった類の思い込みがあるからだろうと思う。 

 

本田は、才能や体格に恵まれてるわけじゃなかったことは結構知られた事実。それをふまえた上で、問題になってるツイート*1を好意的に捉えると全く違ったものが見える。

・まず生きてることに感謝する

・そして嫌なら逃げていい

僕には、それがメインメッセージであるように見える。しかも、自殺してしまう若者へ向けたエールであるわけだ。それらの前提を好意的に汲むとするならば

・他人のせいにするな、政治のせいにするな

という前段は何か。他人とは、政治とは、本田のツイートの中で何を意味する言葉なのか。

 

「変えられないもの」なんじゃないのか。
変えられないものに期待して、絶望して、「変えられないから死ぬしかない」という結論に至るな、と言いたいんじゃないのか。

 

変えられないものからは逃げろ。逃げていいんだよ。

 

そういうメッセージに、僕には見える。もちろん、客観的に見て十分伝わるツイートだとは言い難い。唐突に、政治や他人という言葉が出てくるのだから。
ならばなぜ、本田の中ではこの記事と「政治」「他人」がつながったのか。

 

これは僕の勝手な想像だが、本田自身が、そう考えて思いつめたことがあるんじゃないだろうか。
 

そう思い詰めてた頃の自分に、「この世界が変えられないなら死ぬしかない、じゃない。周りの環境が君に合ってないだけ。合う環境を探して一歩踏み出せ」って言いたかったのだとしたら。


本田ほどの人物が「逃げていいんだ」って言ってるとしたら、それは今つらい状況にある若者にとって大きな勇気になるはずだ。

 

それを自己責任論者だと断定して批判しても、得るものはない。「その言い方では、届けたい人に届かないよ」という表面的なアドバイスのほうが、まだ有用だろう。

 

ここまで書いてきたことが、僕の誇大妄想である可能性も大いにある。
けど、この妄想のほうが、得るものはあるはずだ。
どうせなら、得るほうの考え方でいたい。

こういう話題になると、僕はいつも「こんにゃく問答」という落語を思い出す。
詳しくはググってもらえばいいけど、この落語には「何かを学び取る気持ちで聞けば、たとえ町のこんにゃく屋が発した言葉ですら、高僧に気づきをもたらす」という教訓が隠れている。


そういうことなんだと思う。批判しようと思って見れば、批判にしかならない。

 

得るものがあるスタンスで居たいものだ。
ま、「こんにゃく問答」では、勝手に学びを得た高僧は笑いの対象になるわけだけどね。

 

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 こんにゃく問答に関する学びについては、この本で「豆腐問答」として紹介されてた気がするけど、もう何年も前に読んだので、自信ない。参考まで。

禅「心の大そうじ」 (知的生きかた文庫)

禅「心の大そうじ」 (知的生きかた文庫)

 

 

*1:引用しようと調べてみたら、本当に本人のツイートなのか確信が持てないねこれ。仮に本物じゃなかったとしても、本エントリーで言いたいことは変わらないのでこのまま載せます